自分自身の関心もあり、またある傷を負った人に寄り添うということもあり、ヘンリー・ナーウェンという、霊的著作をたくさん書いたオランダ人の新譜の『嘆きは踊りに変わる』という本をあらためて手に取りました。そこに書かれていたことは、今の自分にとっても大切なメッセージを持っているものでした。
「わたしたちは過去というものを、感謝とともに記憶しておきたいことと、忘れたいことの二つに分ける傾向があります。この考え方は一見とても自然なように思えますが、自分自身の過去全体を、未来を生きるための糧にする妨げになります。それは何かを得ることや快適さに惹かれる自分中心の思いに自分を閉じ込めることです。」
私は「祝福を教える」ということを大切にしているが、確かにそうだ。その祝福とは大体が幸福を感じたときの記憶を思い出すということに限られていた。しかし、ナーウェンが言うことは、私の地平を揺さぶり広げてくれる。
そこでもう一つ思い出した本がある。ある国の童話作家が書いた本で『マナムの思い出』という本である。ある架空の国が舞台である。そこに住むマナムは、大切な人を失い、その傷で精神的に疲弊してしまい、当時流行していた「忘却」という病にかかることを選ぶ。その病にかかれば、都合の悪い記憶や、痛みの記憶を忘れ、幸せを得ることができるという誘惑の病である。そのマナムの記憶を取り戻す方法を知るために、賢者の修業を積む若者ハラルが、パラレルワールドである私たちの現実世界へと旅をしドイツの神学者に出会う、という結構奇想天外な物語である。
私たちの住むこの国に蔓延している病は、まさにこの『マナムの思い出』に描かれている病である。その病は、一人一人の心のあり方を問うていると思う。痛みの時を、あるいは自分たちにとって不都合な記憶をどのように受けとめていくのか。自分自身に問いかけられているように思う。
惇神父様 私は 亡くなった母と年老いた姉を 思っています。母のお腹にいる時に父が殉職して そのショックで産後母の体調が悪く、私の世話は姉がしていました。その後ずっと姉が育ててくれていたのです。過保護で育てていたので母は育児に
口は出さず私の事は全て姉任せでした。無理な事を母に言っても姉さんが良いと言ったらそうしなさいと ですから私は常に自由で呑気で気楽に生きていました。姉が私を可愛がりすぎると言って上の姉が私の事を知らん顔をしていたのです。
高校生の時の夏休み母が実家に帰っていて二,三日家を留守にしていた時 姉も兄も家族皆いるのに私は母恋しくて 帰宅した母の顔を見て泣いてしまったのです。
今 考えています。母ってどんな力があるのでしょうか。あんなに好きだった姉がいるのだから淋しいはずはないのに 今は私も二人の息子の母です。子供のために長生きしようと思っています。 長岡 定子